日本女性学習財団 未来大賞

つながりが未来を拓く ~『ハイヒール・フラミンゴ』の軌跡~

 

2018年12月20日、ハイヒール・フラミンゴの誕生を綴ったレポートが大賞を受賞したという嬉しい知らせが届きました。

「日本女性学習財団 未来大賞」は、「出発・再出発」をテーマに、男女共同参画社会、多様な人々が生きやすい社会の実現に向けて、次への一歩を踏みだしたい/踏みだした人の思いやその過程などをまとめたレポートを募集するものです。

その年の6月に立ち上がったばかりのハイヒール・フラミンゴにぴったりのテーマ。

立ち上げに携わった4人のメンバーで、自分たちの思いをオムニバス形式で綴りました。

 

残念ながらレポート執筆者のひとりであり、当団体の元共同代表・髙木庸子は2020年1月26日、闘病の末にこの世を去りました。

ハイヒール・フラミンゴは、髙木の「義足の女性だけのイベントを開催してみたい!」という提案がきっかけで誕生しました。

公益財団法人 日本女性学習財団様のご厚意により、髙木庸子が綴った第1章の内容について、ここに掲載させていただきます。

ハイヒール・フラミンゴの原点である髙木の想いを是非お読みください。

 

※第2章~第4章の文章を含む、「第2回 日本女性学習財団 未来大賞」受賞レポート全文は、公益財団法人 日本女性学習財団より発行の 月刊『We learn』 2019年3月号でお読みいただけます。

※受賞レポートの著作権は公益財団法人 日本女性学習財団に帰属します。無断転載はご遠慮ください。


贈呈式の様子はこちら(外部サイトに移動します)

つながりが未来を拓く~『ハイヒール・フラミンゴ』の軌跡~

■はじめに

第1章 片足からの再出発 髙木 庸子(下肢切断者)

第2章 「必要とされる私」を求めて 青木 千佳(義肢製作者)

第3章 マイノリティが文化を変えるとき 松井 由起子(義肢事業推進担当)

第4章 つながりは新たな一歩 野間 麻子(福祉用具専門相談員)

■おわりに

第1章 片足からの再出発 髙木 庸子(49歳 下肢切断者)

 「すがすがしい」それが第一声だった。

大きく開かれた窓から光が差し込み、眩しい鴨川の水面と色鮮やかな山々、青く高い空が見えた…気がした。医師の「終わりましたよ。気分はどう?」の声にそう答えた後、少しずつ意識が戻ってきた。そこにあったのは空でも山でもなく手術室の銀色の景色だった。

2014年秋、私は左足を失った。

 

1991年、大学を卒業した私は京都市の高校の教師になった。無邪気な高校生たちを相手にとにかく必死の毎日だった。自分の不甲斐なさに投げ出しそうになる日々と、笑いと奇跡に溢れた彼らとの日々が私の23年をつくり上げていた。私はそんな毎日と今の自分が好きだった。

2014年春、私は学年主任として新入生を迎えた。生徒も私たち教師も夢と期待でいっぱいだった。これからの三年間が楽しみで仕方なかった。生徒240名、教師10名、自分たちの学年に『240+10 ALL STARS』と名前を付けた。

 

その違和感に気づいたのはいつだろう。それも分からないくらい、私はほとんど気にかけていなかった。しかし、左足のその違和感はある頃から急激に大きさを増していった。よくない予感がひろがった。仕事以外のほとんどを後回しにしてきた私にもそれは分かった。後回しにしてはいけない。

『悪性軟部肉腫』、それが告げられた病名だった。続けて医師はこう言った、「残念ですが、足を残すのは難しいかもしれない…」

意味が分からなかった。すべてが一瞬で崩れていった。あたりまえにあった毎日も、疑いもしなかった明日も未来も全部消えてしまった。もう教壇に立つこともできないかもしれない。私はいったいどうやって生きていくのだろう。何もかもが終わった。

 

身体の一部を失うことは自分のアイデンティティの一部を失うこと、自分がもう自分ではなくなることだった。とてつもない恐怖だった。どうやっても理解できなかった。私は乗り越えられるのだろうか。恐怖、悔しさ…そして孤独だった。

恐怖と孤独、それは「未知」からくる。自分がどうなっていくのかが全く分からない。それが恐怖の全てだった。義足を見たことも、義足の人に会ったこともなかった。どうしても義足の人に会いたかった。知人の助けを得て一人の男性と会うことができたのは手術予定日の1週間前だった。

 

中学校の体育教師だった男性はある日事故で足を失った。「いやー、壮絶でしたよ」と彼は笑った。今は支援学校で仕事をしながら車椅子バスケットを通してさまざまな学校で教育活動もしているという。毎日の些細な出来事や暮らしの様子を話す彼は、あたりまえの日常を過ごしているあたりまえの笑顔だった。別れ際にその男性はこう言った。

「あなたは必ず教壇に戻ってください。できればかっこいい短パンでね。」

この出会いが私に、前に進む勇気をくれた。その1週間後、私は左足を切断した。

 

やっと前に進める。足はもうないけれど、乗り越えられないと思った恐怖と不安はもう私の後ろにあった。すがすがしかった。この先の道はまだまだ長い、どんな道かもわからない、でも新しい道はもう目の前にあった。それがすがすがしかった。手術台の上の朦朧とした中で私が見た景色はそんな私の心が描き出した景色だったのだ。

 

足は失った、でも自分らしさを失ったわけではない。義足になったからといって、できることまであきらめるのは、どうしても悔しかった。好きな服を着て好きな靴を履くことは、私にとって自分らしくあるために大切なことの一つだった。自分らしくあるために、好きな服を着て、好きな靴を履いて、そしてもう一度教壇に立とう。今までで一番素敵な靴を買おう。私は義足をはいて『ルイ・ヴィトン』へ向かった。

2017年3月1日。この日ALL STARSは力強く巣立っていった。卒業式で彼らの名前を読む私の足にはヴィトンのハイヒールが輝いていた。

 

同じような思いをしている人はいるはずだ。女性の義足ユーザーに会いたかった。女性のユーザーは限られている、だからすぐにつながるものだと思っていた。しかし義足の女性に会うチャンスは全くなかった。
そんな時に誘われたのが義肢装具会社のイベント『義足でやってみよう!』だった。きっと自分らしく生きるいろんな輝きに出会えるはずだ。喜んで出かけた。ところが女性がいないのである。その後、何度か参加してもやはりほとんど女性がいない。なぜだろう。その時はじめて、義足になり外に出なくなってしまう女性が多いことを知った。もう外には出たくない、人には会いたくない、見られたくない…。


身体の一部を失うことで、女性としてのアイデンティティも自分らしさも失ってしまうような喪失感。女性が外に出るのを阻んでいるのは、物理的な難しさだけではない。そこにあるあきらめや不安、恐怖、孤独。それは、切断を前に私が感じていたものそのものだった。義足でも自分らしさを持ちつづけることはできる。
歩けるだけ幸せと思え?そんなことは絶対にない。私たちが自分らしく歩き続けるために必要なのはきっと「つながり」だ。少しでも何かを届けられるのではないだろうか。切断に向かう私が、義足の男性に勇気をもらったように。
『ハイヒール・フラミンゴ』はこうして生まれた。


<出所>
書名:月刊『We learn』
発行所:公益財団法人 日本女性学習財団